猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

勝手に追悼中埜肇24年忌(他にもいるけどさw)

今日は日航123便墜落事故から24年目の日ですな。
《<日航慰霊登山>御巣鷹の尾根に59家族 Yahoo!ニュース(NEWS) http://news.mobile.yahoo.co.jp/news/view/20090812-00000546-maim_y-soci.html
 520人が犠牲になった85年の日航ジャンボ機墜落事故から24年を迎えた12日、事故現場となった群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」を、早朝から遺族らが慰霊登山に訪れた。「事故を風化させないでほしい」。現地は今年も祈りに包まれた。》
日航123便事故とくれば、このブログ的にはやはり当時の半珍球団社長の話は外せないか。という訳で本日のエントリのタイトルは『勝手に追悼中埜肇24年忌』です。
知らない人の為に説明すると、中埜肇という人物は阪神電鉄の土木畑の技術者で、日航機事故で死亡した時の役職は電鉄専務。阪神タイガースでの役職は球団社長(*1)。まあ電鉄人事なんか興味のない珍ヲタ始めとするプロ野球ファンや『阪神』=『タイガース』という認識しかない人には阪神球団社長といった方が通りがよいw(久万俊二郎と一緒に一場問題の責任を取った野崎とか現阪神航空社長の牧田とか現球団社長の南タンにも共通した話だが。)
中埜肇についてはウィキペディア(中埜肇 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9F%9C%E8%82%87)にもあるし、こちらの「良心的」珍ヲタ氏のHP(げんまつWEB タイガース歴史研究室〜猛虎歴研〜 http://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/index.html)にももちろんある(中埜肇‐げんまつWEB http://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/JINMEI/nakanoh.htm)。ただ、「中埜肇」だけで検索かけると同姓同名さんがいるのでいろいろ関係ない項目が挙がってくるがw
ちなみに中埜はクリスチャンだったらしい。
日航機事故と元阪神球団社長の話- kochikika ノート http://blog.goo.ne.jp/kochikika/e/d2ddbd663051e5980512fa62f17c075a
 その当時、私は熱狂的な阪神ファンの工房だった。
 だから優勝決定時のテレビ番組は片っ端から録画し、翌朝のスポーツ新聞も全て買いあさった。同じことをした虎の人も多かったと思う。
 買いあさったもののひとつに「Number」の134号がある。当然、中身は阪神優勝記念特集号だ。
 その中に「独占手記 いまはじめて明かす 日航機事故で逝った亡き夫 中埜肇が愛したタイガース」という、夫人である中埜トシさんの手による手記記事がある。
 (中略)
 仲の良いご夫婦だったようである。
 中埜社長も夫人も、写真で拝見するにとても品のよい感じの方だ。
 それは言葉遣いにもあらわれているが、ご夫婦でクリスチャンだったという。
 しかし悔やまれるのは、遺品の手帳にはスケジュールが書き込まれていたのだが、それによればその日はANAで帰阪する予定になっていたのだ。
  しかし、ついに4日目、16日の夜8時になって、息子たちが、歯型と着衣とで主人の遺体を確認致しました。棺に入った遺体を確認する現場は、それは凄惨でございました。
  主人の遺体も、とてもまともな状態ではなかったようでございます。
  直接この目で確認したい気持ちはあったものの、結局、できませんでした。
  主人の遺体は翌17日の午前11時に、荼毘にふしました。
  主人はわたくしの長いストレートの髪が好きで、パーマをかけることを好みませんでした。
  そのことを思い出し、背中まであった髪を切り、主人愛用の聖書、ロードマップとともに棺に入れました。
 歯型と着衣で肉親の遺体を確認すること、夫との最後の瞬間に髪を切ること、どれも察するに余りある。
 その後夫人は、遺品として先述の手帳、そして焼け焦げたネクタイとネクタイピンを受け取っている。
 そのネクタイピンは、タイガース球団創立50周年記念の、虎マーク入りのものだった。
 中埜さんは「社長ともなれば、これをしなくちゃいけないなあ」と、これをいつもつけていたそうである。
 そんな中埜さんの生真面目な仕事ぶりが綴られていく。
  名刺入れの中には、兼任していた阪神電鉄専務取締役鉄道事業本部長、阪神土木工業(*2)社長、そして阪神タイガース球団社長の3種類の名刺が数枚、入っておりました。 3つの仕事を兼務し、主人は多忙でございました。
  その3つの仕事の中で、主人が一番心配していたのは、昨年社長に就任したばかりのタイガースのことだったのではないでしょうか。
  夜、家にいるときには、「いくつ見ても同じことなのに」と、わたくしが申しても、テレビのスポーツニュースを全局見ておりました。そして朝になると、スポーツ新聞を何紙も買い込んでくるのでございます。
  また、家を出るときには必ず、大好きだった賛美歌と、そして『六甲おろし』の歌詞のコピーをかばんの中に入れておりました。
  会社の方にお聞きしますと、「どなたにでも歌っていただきたい」という主人の気持ちの表れだったようでございます。》
鞄の中に『阪神タイガースの歌』をプリントした紙を入れていた事はウィキペディアにも記述があるが賛美歌もか。流石はガチのキリスト者だ。それにしてもこういう話を知ると傘下に興行系の事業のある会社の重役になると別にファンでもないのにそれに振り回されるのは宿命なのだとしか言いようがないw久万にしても「べ、別に好きでやってる訳じゃないからね!」と言いつつ実際は全スポーツ紙の半珍記事は見ていたらしいし(*3)wま、この事の『犠牲者』とも言えるのは中埜の死の翌年に旧国鉄から技術職として招聘され日航機事故の20年後に村上ファンドにやられた前電鉄社長西川恭爾だろう。自分にはどう見ても西川前社長は珍ヲタとは思えない印象が今でも強い(実際どうだったかは知らない)w
まあ、そんな彼らに比べれは電鉄社長職を経由せずに阪急阪神統合に伴う『非常処置』として電鉄専務のまま球団オーナーになった宮崎恒彰や現オーナーの電鉄社長坂井信也といった珍ヲタ重役は「それこそ本望よ」なのだろうけど。
因みに上記のブログのエントリの最後の方に、
《この年にレギュラーを獲得し、現在は二軍監督の木戸克彦の夫人は8月12日のJAL123便に搭乗予定だったのだが、キャンセルして難を逃れたとのことである。
 球団社長の件も含めて、運命という言葉はこういうときに使うものだなと思う。
 20年目の夏に合掌。。》
とあるが、この時難を逃れたもう一人の人物が他ならぬ久万俊二郎。この時の中埜の東京行きの理由は民鉄協の会合に急用の入った久万の代理としてだったから。因みにこれが書かれたのは2005年。まさかこの後『阪神』という組織に合掌する羽目になるとは誰も思ってなかっただろうw
これはこのエントリ書いててふと思ったんだが、珍ヲタが『暗黒時代』の戦犯として久万を叩いて来たのは、「もし中埜が久万の代理で東京へ行っていなければ……。」という認識が無意識にあったんじゃないのかとwでもまあ、そりゃないかwwwそういや検索かけたら日航123便墜落はユダヤの陰謀とする説の影響受けた奴が出て来たw(http://jig126.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0812Je92paCxCClV/1t?_jig_=http%3A%2F%2Fq.hatena.ne.jp%2F1190431941%2F117840%2F&_jig_source_=srch&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fpcsite%2Flist%3Fp%3D%2592%2586%2594W%2594%25A3%26b%3D23%26trans%3D1&guid=on#i117881ユダヤ勢力は中埜を狙って123便撃墜したとでも?(棒)ふーんwwwハデな消し方しますねぇwんなもん仕事人一人雇うとか国策逮捕でなんとでも(ry……つーか、糞ジャップも珍ヲタもすぐに陰謀論に走る奴の本当に多い事。中埜に同行して死んだ電鉄常務の石田一雄の事なんかホントどうでもいいんだな……。最も『阪神電気鉄道百年史』にも石田一雄に関しては初期の久万体制の重役一覧の所に名前があっただけだと記憶しているがw
(*1)今でもそうだけど半珍球団社長の職は基本的に電鉄のお偉いさんと兼任なんですよねw(http://www.hanshin.co.jp/company/about/board.html及びhttp://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/data/VIP.htm参照)。
(*2)現・ハンシン建設の事。
(*3)ウィキペディア久万俊二郎の項を参照のこと。