猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

中埜肇が旧広島市民球場建築に関わってたのと、西川前社長って……。

一昨日のエントリで中埜肇について触れたが、ウィキペディアの中埜肇の項目(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9F%9C%E8%82%87)に、
《土木・技術畑出身で、阪神電鉄グループ関連の建築物以外にも国内の数々の大型建造物やレジャー施設の建設にも関与していた。》
とあるが、それ何か具体例あるの? と思っていたら、検索しててこんなのが挙がってきた。
広島市民球場 とは - Wikipedia@pedia http://wikipedia.atpedia.jp/m/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%90%83%E5%A0%B4
 1985年8月12日の日本航空123便墜落事故で犠牲になった阪神タイガース球団社長の中埜肇もこの球場の建築に携わった一人であり、偶然にも同社長の死亡が確認された同年8月17日は同球場で対阪神戦があったため、広島・阪神両チームの選手や首脳陣らが試合開始前に同球場建設への貢献に対する感謝と、哀悼の意を込めて黙祷した。》
ふーん。という事は旧広島市民球場の建設、阪神土木(現ハンシン建設)が関わっていた可能性があるな。因みに今年オープンした新しい広島市民球場の建設に関わったのは五洋建設ほか数社で、そこにハンシン建設の文字はない(新球場の概要 [プロジェクト紹介] - 五洋建設 http://www.penta-ocean.co.jp/project/progress/hiroshima/outline/index.html)。そういう意味では広島カープは長らく半珍の影が及んでいたのかなと言う気がするが、だとしたらようやくそれを振り払ったとも言えるな。
しかし、中埜の経歴見ると何となく電鉄社長やってたこの人に近い気がwいや、かなり違うけどw
《西川恭爾 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E6%81%AD%E7%88%BE
 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校京都大学卒業。同大学院工学研究科(土木工学専攻)修了後の1965年に国鉄へ入社。大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った。1986年3月、阪神電鉄へ入社。西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任。
 しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた。》
なんかこの人、京大工学部卒の縁で中埜辺りとフツーに面識が有ったのか、阪神側から「国鉄はもうダメだから阪神に来い。」みたいな感じで連れて来られたんじゃなかったのかと憶測してみる。中埜が生前にツバ付けてたとかいう話が有っても不思議じゃなさそうw実際中埜の死によって阪神に出来た「穴」を埋めたようなもんだと言っても良さそうだし、でないと最終的に電鉄社長にはなれなかっただろう。もし西川が京大卒でなかったら、もしかしたら今頃ウィキペディア等に書かれた経歴を持つ人物とは全く異なる存在だったかも知れない。歴史に「if」は禁物だけどさw
中埜との違いは最初から『阪神』の人間じゃなかった事と、久万俊二郎並(?)に球団への愛着を感じさせない発言も厭わなかった側面がある事(これは仕方ないけどなw)、後はなにより油断してたら会社が「未知の敵」に喰われて万策尽きるどころか策すらなく(この時阪神が『対抗策』として提示したものは全て阪神が近々やると決めていたものばかりだ。)絶命寸前になってしまい、やむなく阪急に魂売り渡して阪神電鉄の歴史を実質的に終了させてまで阪神電車と半珍球団の存在を守った事ぐらいかw
てか手塚昌利の後任に旧国鉄出身者とかよくそんな人間を……と言う気が今でもしなくないが、阪神上層部の人事は学閥がモノ言っていたらしいからねw京大閥メインだったのだよ阪急阪神以前の阪神は。(野田誠三も手塚も京大卒だし中埜と一緒に日航機事故で亡くなった石田という常務の人も京大卒。因みに学徒出陣で徴兵されたとは言え東大卒という事になっている久万が阪神に入社出来たのは親族に京大卒の人間がいたかららしい。)
まあアンチ阪神にして「阪神の本流はプロ野球球団経営ではなく鉄道(と不動産)」と見てきた私は当時の阪神の体たらくをバカにしつつも「阪急と統合ってwオッサン(いやジーサンか)なにそれすごいwwwこれで阪神が球団に振り回される心配はまず無くなったか!w」と思っていた訳だが。まあは最初から阪神の人間だったらあんな事は出来ないわな……w西川前社長、この人どうみても『阪急阪神』陰の創始者だよw国鉄時代の後輩に当たるJR西の垣内剛山崎正夫と並ぶ「最低の鉄道経営者」ではあるけどさwまあ個人的には阪急阪神発足後は阪急元締めの角のオッサンと坂井社長が今までと違う次元の新しい世界を提示してくれるよ……と半分ガチで思っていたのだが、そういう期待は関テレの『あるある』事件が起きたのをきっかけにやめた。むしろあの件で「阪急は『小林一三モデル』が破綻していようがそれを放棄する気など全くない」という事を再認識してしまったし。しかもその後坂井が珍ヲタ&角が阪急信者にしてヅカヲタだと知った時にはもうね……w(唯一の救いは角のオッサンが珍ヲタでなかった事ぐらいかねぇw)
……まあ最近は角のオッサンと坂井珍也も「サイテーw」の部類に含めていいかなと思っているがw特に坂井珍也は現状じゃマジで酒井法子並に救い様がない印象しかないしなwま、西川前社長もこんな話があったから阪神電鉄のトップなんて元からそんな程度の人物ばかりなのかもしれないw以下は買収問題当時のデイリースポーツ野球担当デスクの人の証言だが。
《日本記者クラブ - Japan National Press Club http://www.jnpc.or.jp/cgi-bin/pb/article.php?id=478
 11月 :村上ファンド
 「日経」片手にトラ番が走る
 走る社長、追うトラ番─。早朝の通勤路で展開された「鬼ごっこ」は延々1キロ近く続いた。
 (中略)
 阪神本社の首脳たちもガードが固くなる。
 これまではくだけた雑談を交わしながら取材に応じてきた西川恭爾社長。それが一転し、先日などは出勤時に自宅玄関を出た途端、報道陣を振り切ろうと最寄駅まで1キロの道程を走り続けた。
 元高校球児である本紙の「西川番」もスーツ姿で伴走したが、日頃の不摂生がたたったのか「途中で息が上がって意識もうろうとなりました」。
 翌日から西川社長は専用車での出社に切り替え、その後もう「鬼ごっこ」はない。》
当時の西川前社長は66歳、朝から自宅前で張り込んでいた報道陣から逃げて最寄駅(確か当時西宮市内在住で甲子園駅から通勤していたと聞く。)の間の1キロ近くの距離を全力疾走、全員彼より年下の筈の報道陣を振り切ったとはwダメ過ぎるがなにこのフィクションじみた『燃える』(いや『萌える』)シチュエーションはwww「事実は小説より奇なり」と言うがまさにその通りと思わせるエピソードだ。もし阪神VS村上ファンドの件をドラマのネタにするなら誰に西川の役を演じさせるべきかな?w個人的には堺正章辺りを希望だが(程良い小物振りを出せる役者でないと西川を演じるのは無理だろう)wてか元高校球児のデイリー「トラ番」、西川より遥かに若い筈なのに何やってたんだかw
以上、http://d.hatena.ne.jp/nekotetumamori/mobile?date=20090613#1244886383の後半のエントリで予告していた件でした。