猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

ハム平、死してなお半端ねぇなw

一昨日にあった故・小林公平の『お別れの会』の記事が産経と47Newsにあった。
まずは産経。
《元阪急電鉄社長、小林公平氏のお別れの会 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100602/biz1006021940028-n1.htm
 阪急電鉄の社長や宝塚歌劇団理事長などを歴任し、5月1日に82歳で亡くなった小林公平氏のお別れの会が2日、大阪市北区のホテル阪急インターナショナルで開かれ、経済界や宝塚歌劇団関係者ら約2800人が故人をしのんだ。
 小林氏は昭和62年、阪急電鉄社長に就任。63年にプロ野球の阪急ブレーブスオリックスに売却するなどグループ事業の再編を進めた。また、宝塚歌劇団理事長として「ベルサイユのばら」を上演して成功させたほか、平成6年にフランス・パリ公演など日仏交流を進めた功績で仏政府の芸術文化勲章を受章するなど文化人として知られた。
 阪急電鉄の角和夫社長は「夢に向かって、迷いのない生き方をされた。梅田・茶屋町開発ですばらしい街をつくりあげ、晩年は最も愛する宝塚とともに幸せな人生を送られたと思う」と功績をたたえた。毎日放送のアナウンサー時代に宝塚歌劇団の取材を通じ、小林氏と知り合ったという平松邦夫大阪市長も駆けつけ、「歌劇団の皆さんが『公平さん』と慕っていた。いつも奥様と観劇に来られ、生徒たちを温かく包んでいるようだった」と振り返った。》
角のオッサン、ハム平ベタ誉めwでもまあこれは本心はどうであれ立場上仕方ないなwつーかハム平、MBSアナ時代の平松邦夫と面識あったのか。ハム平、ヅカ劇団員からは『公平さん』呼ばわりされてたのね。そういや池田文庫の中の人がブログで小林一三の事を『逸翁さん』呼ばわりしている節があったし(http://www.itsuo-museum.com/blog/?p=114参照)、ハム平死去の数日前にオープンした『小林一三記念館』の常設展示室には『一三さん』なるキャラがいるしなw(実はこの前これがどんなキャラなのか微妙に気になり行ってきたのだが、あれ描いたの『ブログdeバーチャル駅長』の今年度の各バーチャル駅長氏のイラスト描いた人だろ?w誰がCVやっているのか気になる所だが。)
次は鳳蘭のコメントを載せた47Newsの記事。
《小林公平氏のお別れの会 宝塚歌劇の発展に貢献 - 47NEWS(よんななニュース)http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060201000301.html
 阪急電鉄の元社長で、5月1日に82歳で死去した故小林公平氏のお別れの会が2日、大阪市北区のホテルで開かれた。宝塚歌劇の発展に貢献した才人で、会には宝塚や財界の関係者ら約2800人が参列し、故人をしのんで献花した。
 宝塚歌劇団の理事長時代に上演した「ベルサイユのばら」が大ヒット。自ら舞台の原作を書き、「公文健」のペンネームで作詞も手掛けた。参列した宝塚出身の女優鳳蘭さんは「宝塚のすべての生徒にとっての父であり、兄である人。頼りにしていたので残念」と涙を浮かべた。
 グループ事業の再編も進め、オーナーを務めていたプロ野球の阪急ブレーブスを1988年にオリックスに売却。関西テレビ放送会長や大阪商工会議所副会頭なども歴任した。 【共同通信】》
ちなみに鳳蘭、産経のハム平密葬記事(恥ずかしながら自分この記事の存在を今頃知ったorz)によると、その時にも同様の事を言っていた模様。
《【葬送】歌声に送られた旅立ち(3日、兵庫県西宮市・エテルノ西宮)元阪急電鉄社長、元宝塚歌劇団理事長 小林公平氏 - MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/economy/business/100503/biz1005031920004-n1.htm
 五月晴れのもと、宝塚音楽学校の在校生や、宝塚歌劇団のOG、現役らの歌声に送られた旅立ちだった。
 “教え子”を代表して元星組トップスターの鳳蘭さんが「宝塚全生徒にとって時には理事長、時には父、時には兄であった」と弔辞を読み、「天国のどこに行かれても必ず探します。私たちをまたおそばにおいてください」と、遺影に語りかけた。
 宝塚歌劇で「ベルサイユのばら」を成功させるなど文化人として知られるが、元は銀行マン。父親が元三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)取締役の三村称平氏、兄は元三菱商事社長の三村庸平氏という経営者一家に生まれ、阪急電鉄創業者、小林一三氏の三男・米三氏(元阪急電鉄社長)の婿養子となって阪急不動産に入社した。
 京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)へ移り、昭和62年に社長就任。以降、会長時代を含め約15年にわたって経営トップを務めた。大阪市の梅田、茶屋町地区に若者らに人気の“阪急村”をつくり上げるなど都市開発に手腕を発揮。遠縁に当たるというパナソニックの松下正幸副会長は「泰然自若とした経営者。よく勉強させていただいた」と振り返る。》
まあもし仮に阪急が宝塚歌劇ブレーブスのない歴史を辿っていたとしても、地域経済に多大な影響を与える組織ならば、そこの元経営者の葬式にはそれなりの数と身分の人間が集まるものだが……まさかパナソニック松下家の人間に「実はハム平さん私の遠縁なんですよ(ボソ)。」な人がいたとはw(それでもさすがに坂井珍也始めとする現旧阪神電鉄およびその系列企業関係者が置かれた現状の「奇遇っ振り」には遠く及ぶまいがw)
そしてハム平、この産経記事によればさらにこんな話も。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100503/biz1005031920004-n2.
 63年にはプロ野球の阪急ブレーブスオリックスグループに売却するなど事業再編にも着手したが、元阪急のエース、山沖之彦さんは「オリックスになっても(球団の)納会に顔を見せられた。元宝塚の妻、現役の娘とともに気にかけていただいた」と感謝した。
 密葬ながらも、鉄道業界や経済界、宝塚歌劇団プロ野球の関係者ら約900人が別れを惜しんだ。阪神間を走る鉄道同士、しのぎを削った阪神電気鉄道も今や同じグループとなり、阪神の坂井信也社長は「百貨店の役員として、ご一緒した」。
 1日、肺炎のため死去。享年82。式場の道路向かいにある大型複合商業施設「阪急西宮ガーデンズ」には、かつてブレーブスの本拠地があった。一時代の象徴的な存在が逝った。(松岡達郎)》
ハム平、球団をオリックスに売却した後も、球団納会行ってたとは……。オリが近鉄バファローズと合併した後も納会出ていたんだろうか?
それにしても所詮はたかが地方大手私鉄元経営者でしかない彼の『密葬』の参列者のべ900人、しかもこの記事の書き出しのような状況が本当だったのならば、実質『音楽葬』じゃねえかコレwww
ハム平、もとい公文建こと小林公平、死してなお半端ねぇ……w