猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

『阪急平野』『阪急文化圏』という言葉への違和感

昨日(もう一昨日か)「鉄道」タグではてブをみてたらid:F-name氏がこういう考察をしていた。
《「京阪神」と「阪急平野」 - F-nameの日記 http://d.hatena.ne.jp/F-name/mobile?date=20090510§ion=1241932597
 私が時々使ってしまうのが、「阪急平野」という言葉。いわゆる「阪急沿線」とほぼ同じ地域を指す。「京阪神」とは微妙にニュアンスが異なる。何がどう異なるのが説明が難しいけれど、難波は含まれなくなるし、枚方などの京阪沿線も入れないニュアンス(淀川を越えるので)。半面、宝塚辺りも「阪急平野」の中には入ってくる。40年来、阪急を使っていると、なかなか固定観念から抜け出せないと感じる。 》
うーん……『阪急平野』ね……個人的には初耳。ただどうもこの言葉、使ってるのはF-name氏だけでなく、Yahoo!検索して見た限りではかなり使われている様子。
例えば、
『「打出の小槌」蔵屋敷へようこそ!』(http://homepage1.nifty.com/0705/index.html)内の『阪神間交通の発達』(http://homepage1.nifty.com/0705/hansinkankoutsu.htm)の以下の文章
《そのことを逆手にとり、小林一三は沿線の土地を住宅地として分譲する、あるいは終点箕面に動物園を開く(大正5年、宝塚へ移転)、有馬温泉への延長が天険に阻まれた仮の終点鄙びた湯治場「宝塚」をパラダイスとして開発するなど、後に「阪急平野」と呼ばれる独自の沿線開発を行っていきました。》
とか、尼崎市ミニコミ誌『南部再生』の第23号(http://www.amaken.jp/nambu/23/で内容が読める)の最初のコーナーにある文章
《いま、「阪急平野」を縦断する阪神バスで尼宝線を走ると、両者の盛衰を体感できる。》
とか。
酷い例だと阪急交通社の中の人までw
《新卒採用情報 これまでの歩み|阪急交通社http://www.hankyu-travel.com/company/recruit/fresh/corp/history2.php
当社の1970年代は、まさに1970年に開催された大阪万博に始まります。開催場所が阪急平野とも呼ばれる大阪千里。6ヵ月間で、700団体25,000人の外国人のお客さまが当社のパッケージツアーを利用して来日しました。》
因みに、検索して引っ掛かったWikipediaの『阪急今津線』の記事にも『阪急平野』の文字がある。
そのの記事によると、
宝塚線神戸線今津線で囲まれた、いわゆる「阪急平野」の西辺を通る。》
因みにここでの『阪急平野の文字、リンクしているのでクリックすると『北摂』の項目へ移動する。
なおWikipediaの『北摂』の項目の記事には次のようにある。
北摂(ほくせつ)は、令制国摂津国北部を指す地域名称である。現在の大阪府北部と兵庫県南東部に当たる。摂津国から現在の大阪市域・神戸市域・堺市域を除いた地域とも言い換えられる。但し、兵庫県南東部の沿岸地域は通常「阪神」と呼ばれ、神戸市北区は北摂とみなされる場合がある。》
個人的には『阪急平野』よりも『北摂』のほうがしっくりくる。なぜならば『阪急平野』という言葉は箕面有馬電気軌道阪神急行電鉄が「小林一三モデル」を振りかざす前、つまり『阪急以前』の旧摂津国北部地域の存在を無視した言葉のように思えるからだ。
同じように私が個人的に違和感を抱く類義語に『阪急文化圏』という言葉がある。
因みに『阪急文化』の簡潔な定義が『月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識』(http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200306/topics01/topic01_01.html)にあった。
阪急電鉄は、京都〜大阪〜兵庫の3府県域で営業する私鉄であるが、ターミナル・デパート、高級住宅地、文化・レジャー施設等々をしかけて、日本で最初に戦略的な沿線文化を形成したことで特筆される。またその都会的で洗練されたちょっと高級な沿線文化を阪急文化という。フェミニンでゴージャスな文化の代表・宝塚歌劇団もその一部。小林一三が1910年代から着手し、今日なお有効である。「高級」かといって上流階層しか手がだせないかというと、そうではなくて、(サービスの提供価格の面で)庶民にも開かれたいたことがじつに上手いところで、人々の上昇志向と幸せをのせて、より拡大を続けることができた。》
まあぶっちゃけ阪急の巧妙な沿線の顧客獲得&囲い込み策=『小林一三モデル』を識者がローカル文化体系と捉えてしまった事から出て来た言葉じゃないかと思うが。
この『阪急文化圏』という言葉、検索する限りで個人的に思ったのは、原武史著『「民都」大阪対「帝都」東京―思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ・1998年刊) が上梓された後で使われ出したんじゃないかという気がしてならない。
もしそれまでに使われている例があるとしたら、これはあくまで憶測だがそれは阪急のバイアスがかかった図書館兼資料館である池田文庫が主催してきた阪急の自画自賛セミナーの場で使われていたぐらいの『内輪ネタ』でしかなかったんじゃないかという気がするが……。
因みに『「民都」大阪対「帝都」東京―思想としての関西私鉄』が上梓された1998年頃の阪急は茶屋町再開発・西淀川区中島地区の負債を抱え、本業の旅客輸送のスピード面でJR西に逆転される状況が決定的になった時期でもある。(で有ってるか?)しかし当の阪急経営陣がそれが『小林一三モデル』の終わりの始まりである事を自覚し公の場でそれを口にするのは21世紀に入ってからだった様だがw以下は2003年の阪急角社長の就任時の神戸新聞の記事(『神戸新聞ニュース:総合/2003.05.01/人 阪急電鉄社長に就く 角和夫さん』http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030501ke106600.html)より。
《同社は今年三月期決算予想で、開発中の土地評価損などを計上。八百九十二億円という巨額の当期赤字を見込んでいる。「創業者・小林一三翁が築いた沿線開発型の経営は、もはや難しい時代」と認め、慎重に経営資源の集中を進める。》
……結局、関西経済が凋落した状況で、かつて『関西私鉄(或いは関西財界)の雄』とまで言われた阪急がそんな状態に陥った故に『阪急文化圏』という言葉が『小林一三モデル』の影響をうけて育った、あるいは『東京に対抗しうる何か』を探していた関西出身・在住の識者の琴線を捕らえ、ネタで済んでも良さそうだったその言葉をベタにしてしまったんじゃないか(さらにタチが悪いのはそれに阪急が『悪乗り』してしまった事だ)という気がする。(これが阪神タイガースが関西圏の識者に担ぎ上げられ、また関西人は阪神ファンが多いと言われ、さらに『星野フィーバー』後に阪神電鉄がそれに『悪乗り』した図式とよく似ていると思うのは私だけか?)
それににしても『阪急平野』という言葉、『阪急文化圏』が識者が好んで使いそうな言葉という感じがするのに対し、地域情報誌が好んで使いそうな言葉という感じを受ける。あと大きな違いがあるとすれば、前者は今現在の阪急沿線一帯を指し、後者は阪急による沿線開発の歴史の時間軸上にある阪急沿線一帯を指すという事か。まあ『北摂』という言葉はその二つを軽く超越する力を持っている訳だが……。