猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

「安全」は所詮無数の人柱の上に建つ砂上の楼閣

奈良・東大寺五百立山にある鉄道殉職者供養塔。昭和初期に建てられ、鉄道省国鉄・JR西によって殉職者の供養が行われてきた場所でもある。ちなみにJR福知山線脱線事故で死亡した高見運転士の名前がこの供養塔に納められている殉職者名簿に記載がないとかいう話があったが、結局その後どうなったのであろうか。
西宮市の山陽新幹線六甲トンネル東口の真上にある新幹線記念公園の工事殉職者慰霊碑。宗教色は薄いが碑の中央に供養の為に用意された卒塔婆が置かれていた。
近鉄河内花園駅西側の踏切南側にある光明地蔵。1948年に起きた近鉄奈良線列車暴走追突事故の犠牲者の供養の為に建てられたもの。事故そのものはかなり有名なだが詳しくはwikipedia:近鉄奈良線列車暴走追突事故を。この事故は何らかの事情で鉄道車両・設備のメンテナンスに穴が空くような事態が恒常化すると最悪どういう事になるかという事の一例と見ることもできよう。

最近イライラする事が多いのでちょっくらアッチの世界に行ったような感じの事を書こう。
今日は関東大震災があった事にちなみ制定された「防災の日」であったが、311後の自分は何というか倭人って65年以上前どころか80年近く前から何ら進歩してねえんだなと嘲笑気味な事もあり、正直防災やら復興やらに関する話はもういい、それより日本を近々再び大災害が襲って次こそは未来永劫に滅ぶという事態になってしまえ、と半分本気で思ってしまっていたりする。馬鹿は死ななきゃ何とやらというしなwいや死んでも治らんかorz
まあ日本社会に限った話でもないのだろうが、天災なくとも大規模な人災はちょくちょく鉄道業者とか航空業者あたりが起こしていたりもするし、天災にしてもそれこそ東日本大震災に伴う東電福島第一原発事故がいい例なのだが人間が自らの営みの為に拵えた代物が災害をさらに倍増させてしまうという意味では人災でもある訳で。これは阪神淡路大震災関東大震災の例を見てもわかるが都市圏を直撃する天災における必然のオチでもある。当たり前だが、人の営みなき場所で起きる「天災」など只の自然現象だろう。
そういう意味では、「安全」というのは結局のところ無数の人柱の上に建つ砂上の楼閣と言ってもいいだろう。だからこそそれを維持し続け、事が起きたら如何にして被害を大きくさせないかという事に心を砕く必要がある訳で。
但し、人災を起こした人道上の責任の償いをどうするかという事と、世間一般に対する「安心」の提供の保証はまた別問題だという事はしつこく言っていいと思う。