猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

魯山人を激怒させた小林逸山&阪急百貨店

個人的には芸術家(アーティスト)含めた文化人若しくはそれ気取りの連中の言動は正直馬鹿馬鹿しいものが多くて「死ねw」と言いたくなるような者も多い(実際、各種トンデモに陥ったり親和的になったりして拡散させているド阿呆があまりにも多いorz)ので、正直芸術含めた文化を過剰にワッショイされてもな……とは思う。そのオチは決まって気軽なファッションどころか空虚な記号と化すだけだ。ただ文化という代物は必然的に社会の暗黒面と無関係ではなく、記号化することでようやくそれが無害化されるものと、なおも無害化されない者があるからタチが悪いのだが。
かつてワッショイされた揚げ句に空虚な記号と化してしまった存在は多いが、北大路魯山人はそのいい例だろう。彼についてあまり詳しく知らない自分が言うのも滑稽どころかあちこちから顰蹙を買いそうだが、今の日本社会での彼の扱われ方は彼にとってはある意味不本意かもしれない。
最もそれは魯山人の在命中からそうだったかもしれないがw事もあろうにと言うか、いやよりによってと言うか、『数寄者』小林一三と阪急百貨店が彼を激怒させる真似をしていたようだ。
魯山人、怒り心頭の手紙 小林一三あて6通発見‐神戸新聞 http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0003518717.shtml
 陶芸家・北大路魯山人(1883〜1959年)が阪急創業者・小林一三(1873〜1957年)に送った手紙6通が見つかり、小林のコレクションを所蔵する逸翁美術館大阪府池田市)が8日、発表した。友好的だった文面が激しい抗議へと変化しており、伊井春樹館長(69)は「魯山人の内面が分かる手紙はほとんど見つかっておらず、彼の激情や価値観を生々しく伝える貴重な資料だ」と評価している。
 同美術館は昨年、旧館から新館に移転。魯山人の手紙は今夏、旧館にあった大量の手紙を整理中に見つかった。
 小林は魯山人の陶器を評価し、支援していた。1943年9月1日付の手紙によると、魯山人が神奈川県鎌倉市の窯に小林を招いており、親しさがうかがえる。
 だが、その後関係は急変。大阪・梅田の阪急百貨店で魯山人が作品展を開く際、同店発行の月刊誌「美術工芸」に掲載された「(戦時中という)時節柄、どんなよいものでも高くてはいかん」との小林の発言に激高。同年10月9日付の手紙で抗議している。
 さらに同月17日付の手紙では同誌編集長を「馬鹿者」とこきおろし、小林に対しても、編集長を重用するならば「ドウカしてゐる」と責めるなど原稿用紙4枚にわたって怒りの言葉を連ねている。
 このうち4通が、魯山人の窯で小林が作った志野焼とともに9日から同館で展示される。12月5日まで。同館TEL072・751・3865
 (神谷千晶)(2010/10/08 23:18)》
茶道系の芸術関係の文献で近代日本における『数寄者』とされている小林逸山(のち逸翁)こと小林一三だが、なんだかんだ言った所で所詮は彼の『芸術』に対する感性など日頃芸術に対する関心などなく、あっても『なんでも鑑定団』的な話にしか興味が持てない多くの日本社会の住人(私もそうだが)同様薄っぺらいものでしかなかったという事だwそれは所詮『作品』を『商品』として扱う事しか出来ない阪急百貨店の中の人もまた然り。