猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

阪急信者冥利に尽き過ぎな中山寺管長


もう3週間以上前の話(いや1ヶ月近く前か)、5月末日の話になるのだが、宝塚の中山寺で「阪急電鉄開業100周年記念特別講話『阪急とその100年』」と題した、中山寺管長村主康瑞(すぐり・こうずい)氏の話があるというので、阪急信者の言い分がいかなるものなのかを知りたくて聴きに行ってきた。
談話は午前10時〜11時の一時間で、受付は午前9時からという事だったので奈良を7時半過ぎに出て中山寺に到着したのが9時半前。会場である信徒会館に着くと、阪急の中の人が会館前ではグッズを販売し、会館の中では来場者にパンフ類を入れた袋を渡していた。
パンフ類の中にこんなのがあった。この日の記念散華。字は村主管長によるもの。さすが中山寺
私が到着した時点では席はまだまだ半分も埋まってなかったのだが、開始時間が近づくにつれ徐々に埋まっていった。ま、それでも用意された席が全て埋まる事はなく、来ていた人の多くは中山寺の信徒集団が来ていた事もありジジババ(失礼!)ばっかりだったがw
壇上には始めスクリーンが下ろされていて、阪急開業〜初期の広告類が写しだされていたが、開始時間直前にそれが収納され、中山寺が本尊としている十一面観音の像が現れ開始時間に。進行係である阪急電鉄の中の人である飯田氏(なお彼は都市交通事業部、つまり他社における『鉄道事業部』に相当する部署の人である。)が会の次第を説明した後、常務取締役にして都市交通事業本部長の若林常夫氏が挨拶を行い、そこでこの講話の意義−−開業から100年存続して来た事への『顧客』に対する感謝の意と『これからの100年に向けて』の決意−−を話し、そして村主管長の講話が始まった。
まずは村主管長自身の簡潔な自己紹介。経歴に関しては阪急のほうで既に紹介していた事もあり割愛されたが、その中で彼は私がこのダイアリーでオッサン呼ばわりしている阪急阪神HD・阪急電鉄社長の角和夫とは同じ学校の先輩後輩、それも一年違い(!)との事で、彼にとっては角のオッサンは「良き兄貴分」との事らしいw因みに若林常務も彼の出た学校の遥か下の後輩なんだそうな。(角のオッサンと村主管長が早大卒な所を見ると、もしや若林常務も早大卒か?wま、村主管長が灘高も行ってたとかいうんだったらそちらの可能性もあるがw)
自己紹介を終えた村主管長は、彼自身と阪急との「出会い」について話した。どうやら彼にとっては幼少時代からちょっとした遠出と余暇において『阪急』は何かと欠かせない存在だったらしい。
そして村主管長曰く、旧国鉄=JR西と阪急に代表される私鉄との違いは、「『人』のみを運ぶ事」だという。つまり旧国鉄が旅客も貨物もやっていた、則ち人も物も同じ存在としてしか見ておらず、JR化後もその考えを引きずった為にスピードアップに力を入れすぎて『4.25』のような事態にいたったのではないかと。それに対し阪急などは『人』を運ぶ事に専念したのだとの事だが、個人的にはいいのかその捉え方???? と思ってしまった。(*)
次いで話は、『阪急』が開業後何をしてきたかというものになる。そこで出て来たのが「如何なる土地を選ぶべきか 如何なる家屋に住むべきか」という言葉。実はこれ阪急が宅地開発を開始して間もない頃に出した広告にあるキャッチコピーでもあるのだが、村主管長はこの言葉には小林一三の考えが端的に現われているという。管長に言わせると、彼は人が『住む場所』と 『働く場所』は別けられるべきと考え沿線地域に住宅地を造り、終点には『娯楽』を設けた。つまり大阪という街から見た『非日常』の提供をしたのだという。そしてその事が、それまで武庫川の船運をもとに栄えてきた小浜宿と中山寺と温泉ぐらいしかなかった現在の宝塚市一帯を一変させていったのだという。(最もも創業時の阪急も寺社参詣客頼みだったそうで、宝塚線沿線に寺社が点在しているのはその為だという。)
そして管長曰く、「阪急は宝塚(の地)に対して責任がある。」と。その理由は(大阪から見た『非日常』を提供している以上は)阪急は『夢』を運ぶ会社でなければならず、JR西とのスピード競争なんて無意味であると。ましてや利益のみを追求する事などもってのほかだと。で、宝塚ファミリーランドを閉鎖したことへの苦言と若林常務にクギを刺して、講話終了。面白かったけど、いろいろ微妙すぎる一時間だったw
ま、中山寺真言宗の一派(中山寺派)故あまりこういう事は言わないんだろうと思うが、他宗派の仏典に『一切從心轉』(唯心偈(如心偈))あるいは『一切唯心造』(臨済宗の『大施餓鬼(開甘露門)』)って言葉(私はこの言葉は「如何なる土地を選ぶべきか 如何なる家屋に住むべきか」という文言を「迷い」として看破する力を持っていると思うのだが)があるんですけど、その言葉を知った私には「阪急が未来永劫『夢』を運び続ける(=煽り続ける)事を望んで、そして阪急がそれに応えた所で何が残るのやら?」って思うんですが、やはり未熟者ですかね?w(かく言う私も『みなし真言門徒』ですが何か?w(汗))
(*)補足だが、このテの「関西私鉄は旅客輸送だけに専念して来た」論は、阪神武庫川線の敷設の経緯や近鉄の鮮魚列車を例に上げる事で看破可能である。ただ鮮魚列車以外の話に関しては戦時中の国策に伴うものという特殊な事情故ではあるが。阪急もその例にもれず十五年戦争後しばらく貨物輸送をやっていた。この件については『ブログdeバーチャル駅長』管理人ブログの過去記事(http://www.ekiblo.jp/hensyu_bu/13022.html)で触れられている。ただ『ekiblo.』管理人も流石にこの件は公式グッズのネタにされてた事がきっかけで自社の年譜を見るまでは知らなかった模様だが。
(追記(2011.2.5記):Twitterの自分のツイートにこの記事のリンクを貼ったところ、若林常務は早大卒ではなく京大&大教大付属池田高卒で、村主管長が彼を学校の後輩だと言ったのは同じ高校の出身だからではないかとの情報を頂いた。なるほど。しかし出身校による因縁ってマジ半端ねぇなw)