猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

『市民感覚』は行い次第

神戸新聞のJR西歴代社長強制起訴の読み物記事。まあ井手正敬の話がメインだが、最後の一行が秀逸すぎる。
《JR西、収益優先 負の連鎖 歴代社長強制起訴へ‐神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0002815661.shtml
 収益を大幅拡大させた経営方針が、死者107人を出す尼崎JR脱線事故を引き起こしたのか‐。高速大量輸送網を整え、私鉄との競争を圧勝に導いた井手正敬元会長(74)らJR西日本の歴代トップ3人に、神戸第1検察審査会は26日、「起訴議決」を下した。“井手商会”と評された経営手腕と事故との因果関係が、法廷の場で問われる。
 井手氏は国鉄で民営化を担う総裁室長を務め、1987年のJR西発足後は、副社長として実質的に経営を仕切った。92に社長就任。さらに会長として2003年まで代表権を握り続けた。井手氏自身「JR西は私そのもの」との自負がある。
 幹部の一人は、JR西の発足当初「ボーナスは出るんかな」と危ぶんだという。多くの赤字ローカル線を抱え、京阪神では私鉄と競合する。「本社の求心力を高めるためにも井手氏はワンマンで臨まざるを得なかった」と元幹部は話す。
 強力なリーダーシップで経費を削減し、新線開業や列車の増発、高速化を推進。「供給が需要を産む」という積極策で主要路線網「アーバンネットワーク」を拡充し、私鉄各社に対抗した。
 95年の阪神・淡路大震災でカリスマ性はいっそう高まる。自ら陣頭指揮し、2カ月で復旧。私鉄各社から乗客を奪った。「井手さんにはかなわない、という雰囲気になった」(元幹部)という。
 97年に東西線が開通。複数の幹部が「井手氏の手腕で実現した」と語る。尼崎駅で東西線とつながった宝塚線は大幅な増発が可能に。この接続を実現するために96年に付け替えられたのが、9年後に脱線事故の現場となる上りカーブだった。
 このカーブの危険性を井手氏、後を継いだ南谷昌二郎前会長(68)、垣内剛元社長(65)は、具体的に認識していたのか。そこが裁判の焦点となる。
 現役時代、毎朝7時には現場に出向いていた井手氏だが、事故後、周囲に「あのカーブが危険とは知り得なかった」と語ったという。情報漏えい問題などを受けてJR西が設けたコンプライアンス特別委員会は、井手氏による経営を「閉鎖的な組織風土、上に対して物申さぬ文化、現場を知ろうとしない経営体質を作った」と切り捨てた。
 一方で、こうした体質が定着したことについて、南谷、垣内氏の責任を問う声も社内にある。中堅幹部の一人は「南谷、垣内氏は現場を歩くことが、ほとんどなかった」と指摘する。
 昨年10月に検察審査会が歴代3社長を「起訴相当」とした際は、多くの社員に「まさか」と衝撃が走った。しかし、この日は社内に「起訴議決は仕方ない」というムードが漂った。
 ある幹部がつぶやいた。「市民感覚とは、こういうものなのか」
(足立 聡、段 貴則)》
結局、アーバンネットワーク始めとする都市近郊長距離高速輸送をありがたがるのも、『4.25』の責任を歴代経営陣に求めるのもつまりは『市民感覚』な訳でして。しかもそれは当事者組織の中にいると中々気がつかなかったりで。