猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

光無くして

一昨晩の話になるけど、夜8時過ぎになってから奈良公園の中にある片岡梅林に行って来た。
なぜ行ったのかというと、前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/nekotetumamori/mobile?date=20100309#1268117891)で呉春(松村渓月)の『白梅図屏風』を初めて見たとき、自分があの屏風に描かれた世界に引き込まれる錯覚を覚えたというような事を書いた(家に帰ったらその時のチラシ残ってた。2004年の公開時に行ってたんだ)。勿論先日見た時は耐性が付いてさすがにそんな感覚は起こらなかったのだが、例のエントリ書いた後であの時私がなぜそんな錯覚に陥ったのか? ということを考えて到った仮の答えが、「本物の開花期の白花種のウメの木を知ってるからじゃね?」という事。
で、梅林に至り正解だなと思った。夜の暗闇の中故に電灯の明かりに頼らなければならないとは言え、そこで見た白梅の花はやはり私が白梅図屏風を見たときに陥った錯覚とほぼ同じ感覚を与えてくれた。ピークは過ぎてたので花が散ってしまった梅の木も多かったのだけど、やっぱり梅の花っていいよなー。個人的には桜の花より好きなんだよね。桜も悪くはないのだが、なんか見ていて心が沈むというか(ヤマザクラはまだいいけど、特にソメイヨシノとか。)……。
ただその時気になったのが、作品の時間設定が夜であるのなら光源は有ったのか無かったのか? ということ。というのも梅林内には白梅の他にも紅梅(「緋梅系」とされる品種含む)が植えられているのだが、電灯から離れた所にある花を付けたウメの木はそれが白梅なのか紅梅なのか非常にわかりにくかったから。結局、ものすごく当たり前の話なのだが、
「光無くして梅の花が白か薄紅か緋かを知ることは出来ない。」
という答えに到った。呉春の生きていた時代にしても真っ暗闇の中で絵を描こうとしようものなら火の着いた蝋燭や灯心浸した油の入った皿といった光源がなければムリだろうし。と言うか、結局暗闇の中ではキチンとしたモノの分別など付かないんだ、と。
ま、「あの屏風の白梅は何も夜に描く必要ないだろヴォケw」と言われちゃおしまいなんですがねwそれはそうと「白梅図屏風」で検索かけたらテレビ東京美の巨人たち』の公式サイトが挙がってきた。ちょうど一ヶ月前に取り上げられてたのか!(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/100213/)知らなかったorz……なるほどあの屏風は与謝蕪村の辞世の句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」の世界だったのね。