猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

次の100年の鍵は『大梅田』ってなんじゃそりゃw

何かまた角のオッサンが産経新聞の質問に対して微妙な事言ってた模様。まあどーせ社内報でも同じ事言ってんだろうけどw『大梅田』って何だおw
《関西私鉄100年 ベンチャー精神再び:産経関西産経新聞大阪本社公式ニュースサイト) http://www.sankei-kansai.com/2010/02/04/20100204-020141.php
 阪急 「大梅田」構想が軸
 阪急電鉄は、駅に百貨店を併設するなど私鉄のビジネスモデルをつくった小林一三(1873〜1957)が創業。箕面や有馬といった観光地と大阪を結ぶことを思いつき、明治43年3月に箕面有馬電気軌道の営業を始めた。その後も宝塚歌劇を創設し、沿線に鉄道需要を創出するなど、旺盛なベンチャー精神で事業を拡大した。
 平成18年には阪神電気鉄道経営統合して新時代を迎えており、阪急阪神ホールディングスの角和夫社長は「北ヤードなど大梅田構想が動き出せば、新阪急ホテルに泊まり、阪急、阪神百貨店で買い物と商圏は広がる。アジアの観光客を大阪に呼び込む」と意欲をみせる。》
結局梅田北ヤード再開発頼みかよw
片や、京阪佐藤CEOはかく語りき(渋沢栄一担ぎ出してきたか……)。
http://www.sankei-kansai.com/2010/02/04/20100204-020141.php
 「新たな世紀にむけて大切なのは創業時から続く起業家精神だ」。京阪電気鉄道佐藤茂雄CEO(最高経営責任者)はこう話す。
 京阪の創立委員長は「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一(1840〜1931)。淀川東岸で大阪京都間の私営鉄道を計画したところ、すでに西岸に開通していた官営鉄道から「乗客が分散する」と反対された。
 しかし、渋沢は大阪の将来的な輸送需要の増大を見据え、明治43(1910)年4月に大阪・天満橋京都・五条間の開業にこぎつけた。
 昭和初期に経営が厳しくなったときには経費削減とともに、創意工夫を凝らした。電力を夜間にためて朝のラッシュ時に戻す蓄電池を独自開発した歴史もあったといい、佐藤CEOは「既存の事業にこだわらず新しい事業の種を掘り起こす」と強調する。》
しかし、どこも既存の手法で「次の100年」に進もうとするんだな。果たしてそれが「みんなが求めているもの」なのか、個人的には大いに首を傾げたい事なのだが。