猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

阪神タイガースはもう、死んでいる。

ウエスタンリーグ阪神戦で秀太(田中秀太)の引退試合があった事についてid:toroleo氏がこんな事を書いている。いや、エントリのタイトルにツッコミ入れたくて釣られただけなんだけどw(ゴメンナサイ!)
阪神タイガースは永久に不滅か?‐本当の事しか言わない/本当は嘘しか言わない http://d.hatena.ne.jp/toroleo/mobile?date=20090925
 阪神ファンでもないわたしが余計なことを言っていることになるのは承知しているが、長年球団に貢献した選手に対してそういう扱いをすることに、阪神ファン、秀太選手のファンはどう思っているのだろうか? 一緒にプレイした阪神の選手はどう思っているのだろうか? スポーツジャーナリストはどう思っているのだろうか?
 健全なスポーツ文化を築こう!エイエイオー!とかいうニュアンスじゃなくて、こういう渋い選手に対して適切な敬意と感謝を示すことができる組織は単純にかっちょええと思うので、阪神にはクールに行こうぜベイベーっていうニュアンスでガンガン行ってほしいんですけどね。阪神に限らないか。野球に限らないか。スポーツに限らないか。
 わたしが勝手に騒いでいるだけで、実際には一軍戦での引退試合も計画されているということだと嬉しいんですけど。しつこいですけど15年間ですからね、15年。それとも私の知らない色々複雑な事情があるんでしょうか。》
toroleo氏にはキツイ事を言うが、秀太が所属した阪神タイガースは「長年球団に貢献した選手に対して」「適切な敬意と感謝を示す」ような球団ではない。ましてや二軍落ちして一軍復活の見込みのない選手の為に一軍戦での引退試合を用意するような球団ですらない。ただ単に暗黒時代→一時期Aクラスに入り調子乗る→戦術破綻でgdgd→再度暗黒時代突入という流れを繰り返し、「来年こそ優勝や」「今度こそ日本一や」というフレーズで思いっきり期待させて客を釣る事しか考えていない、そんな球団だと言っていい。
つまり、こういうこと。以前書いたエントリの拙文だけど。
《『今年の半珍がダメポで珍ヲタ曰く「暗黒時代再来orz」なのは、1985年以降の阪神電鉄の経緯をざっと見ても当然の帰結なんだよなw』http://d.hatena.ne.jp/nekotetumamori/mobile?date=20090805#1249462063
 かたや阪神電鉄はというと他の大手私鉄同様「鉄道だけじゃ食えないっス。でも本業でももっと稼ぎたいっス!」だった訳で、
 《(以下上記http://www.kwansei.ac.jp/iba/entre/library/vol3.htmlより)このなかで、1980年代初めに同社は業容拡大戦略に大きく方向転換し、兼業部門の拡大を図る西梅田開発と、鉄道事業の強化を図る西大阪線の延伸という2大プロジェクトによって、この実現を図った。
  (中略)
  1980年代から21世紀初頭においては、阪神大震災による損失があったものの、阪神電鉄グループの経営パフォーマンスは、大手私鉄のなかでも安定的に推移し、2003年度においては売上高、利益のいずれにおいても過去最高を記録した。また戦略転換が功を奏して、保有資産の含み益も増大していた。》
 という経緯を辿る。その後どうなったかはあまりにも知られた話なので割愛。結局阪神もまた自分の所が限られ縮小しつつあるシェアの中でいかに売上を落とさずにいられる(あわよくば伸ばす)事で頭がいっぱいな組織だった訳だ。ブルーノートに手を出しそれが頭打ちになったからビルボードへなんてのがその象徴的な話だ。
 (中略)
 半珍がリーグ優勝した所で球団の取り巻きが儲かった所でそれらは所詮「おこぼれ」であって結局は阪神電鉄グループの儲けに収斂されていくだけだし、実際そうだったのによw上記文章の「2003年度においては売上高、利益のいずれにおいても過去最高を記録した。」という一節は、『星野フィーバー』が結局何であったかを露骨に示している。(*2)
 おそらくそれは、1985年の半珍の日本シリーズ優勝時も同じだったと思う。まあ結局は1986年以降の状況、所謂『暗黒時代』というのが半珍の選手・監督・コーチ・球団フロント・その他球団関係者の「実力」だった訳だが……。その事態に対して阪神が取った策は、「日はまた昇る――『1985』はいつかきっと再来する」事を演出し続ける事だった。その時点で阪神タイガースは「野球チーム」である事を放棄し「コンテンツ業者」となったと言えるかもしれない。事実、この後バブル景気の影響もあってか関西圏にはタイガースグッズが溢れかえる事になるのだから。その状況は2003年のリーグ優勝まで続いた。映画『ミスター・ルーキー』はそんな状況下で制作された、HALTAN氏の言葉を借りるなら『自主映画』の典型だ。
 そして2003年のリーグ優勝以降は、半珍球団も阪神電鉄も『半珍よりのメディア』『珍ヲタな識者』も『一般人の珍ヲタ』も、『猛虎復活』『常勝球団』という言葉に踊る事になり、星野仙一を英雄として祭り上げる事になる。(後略)
 (*2)因みに2003年度の売上が過去最高益であり、それが2003年の球団リーグ優勝によるものであるという事も『阪神電気鉄道百年史』にも記載されている。》
勿論これは村上ファンド問題の帰結としての『阪急阪神』発足前の話だけど、要は阪神は何も野球ファンの為に野球をやっている訳ではなく、巨人=東京=地方に対する「中央」へのルサンチマンを自らの儲けに利用しているだけの組織だと言っていい。まあ企業スポーツチームというのは親会社の宣伝&副収入源として使われるのは避けられない宿命なんだけど、阪神のそれは『企業スポーツチーム』の枠を大きく逸脱してしまっているんだよな……。スポーツチームとしての阪神タイガースは既に「死んでいる」んだよ。阪急阪神発足でそれまでの阪神が「死んだ」以前に。
アンチ阪神の私からすれば、そんな球団で15年間プレーして、一軍復帰が叶わないまま引退する事になったとは言え、二軍でも引退試合を用意してもらえる秀太は幸せ者だと思うんだけどな、多分。