猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

謝罪の為の自白と誓約書と

これは……。個人的には私のかつての勤め先で有ったた万引きの被疑者対応の事を思い出した。
《取調べの可視化を阻むもの‐Apes! Not Monkeys!  本館 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/mobile?date=20090907&sid=6ea5a219e8a5ad38
 『〔新版〕狭山事件 虚偽自白』で新たに収録された対談(庭山英雄(弁護士)×浜田寿美男、司会=笠松明広(解放新聞社))より。『部落解放』05年11月号からの転載。
  浜田 (・・・)
   取り調べをする側からすると、取り調べというのは、たんに本人に自白をさせるということだけじゃなくて、謝罪をさせる、更正の一環と位置づけている。ある検察官は、“懺悔の場”だと言っている。だから、証拠が明白にある事件でも自白を求めるんです。自白させて反省させることに意味があると思っているんです。そんな懺悔の場にビデオテープを持ち込むなんて、とんでもない。一対一の人間関係のなかで本当のことが引き出せるんだと。録音テープなんて持ち込んだら、本当のことを言わなくなるじゃないかと。こういう発想なんですね。
   アメリカの社会学者が、日本の警察研究で言っているんですが、日本の取り調べの大きな特徴は謝罪追及ということにあると。情報収集ということよりも謝罪をどうやって引き出すかにある。しかし、取り調べは、本来、尋問ではなくインタビューなんです。単なる情報収集なんです。だから、情報提供したくなければ黙秘するのが、ごく自然なんです。ところが、謝罪ということになりますと、犯罪を犯したということが前提になり、謝罪させるためには自白がどうしても必要になる。
  庭山 最近、現役の検察官何人かと会って、自白の問題について議論したことがあるんです。そのなかで、こういうことを言った人がいました。何日もかかって、ようやく自白をさせる。被疑者がポロポロ涙を流して、真実を語りながら悔悟、反省をする。このときこそ検察官の誇りと喜びを感じるんだと。こうなると麻薬みたいなもので、やめられないと。こんな雰囲気が検察庁全体にあるんじゃないかなぁ。
  (339-340ページ)
 捜査機関が裁判や矯正の機能まで事実上囲い込んでしまっているわけだ。もちろん被疑者が真犯人の場合には、このような取り調べが「更正」の一助になるケースもないとは言えないだろう。うまい具合に「謝罪」と反省を引き出すことができればその分判決も軽くなり、むやみな重罰化を避けることができる・・・というのも場合によっては「更正」を助けるだろう。しかし、本来「更正」の場は刑務所であり(執行猶予の場合や仮釈放の場合には)実社会であるはずだ。謝罪の前提となる自白を求める強い傾向が虚偽自白の背景となるだけでなく、公判でも被告人の弁護権を制約しかねない。》
日本の捜査機関による取り調べは『情報収集』より『懺悔』、『謝罪追求』を目的にしているが故に強く自白を求める事が当たり前なのか。確かにそうだよなあ。警察のプロパガンダに過ぎない『警察24時』等のTV番組にもそういう部分が見受けられるし、捜査機関を美化して描く日本のサスペンスドラマにしても最後は犯人が後ろめたく『真実』を捜査官の前で語るというのが昔から主流なのもその事の現れだろうし。現在の日本では権力側のプロパガンダやフィクションならそれで十分なのだろうが、じゃあその傾向が果たして被疑者側の為になるのかという事になると、id:apesnotmonkeys氏が指摘する様に寧ろ被疑者の為にならないだろう。
それと同じ事を思ったのが、「私のかつての勤め先で有った万引きの被疑者対応」の事だ。
もう4年以上前の話になるが、以前私は私鉄系の警備会社に勤務した事があり、その私鉄が経営する商業施設の常駐警備の仕事に携わっていた。ある日施設内でアパレル業者による催事が有り、その会場で万引き行為をしたとされる客が、催事主催者側の係員と防犯担当者(催事主催者の依頼で催事場を巡回していた他社の警備員、つまり『警察24時』あたりで言う所の『万引きGメン』)に付き添われて警備室に連れて来られた事が有った。
その時私は同じ隊の人から警備室の外に出る様にと言われ、警備室内は受付と各所センサー用のモニター監視・無線通信担当以外は私のいた隊の警備員はいない状態になった。そして催事主催者・防犯担当者と万引き被疑者の客を警備員内に通し、間もなくして警察官が警備室に来た。しかしその客が警察に連行される様子はなく、後で聞いた所によると催事主催者側がその客に「二度と万引きをしない」という由の誓約書を書かせて帰らせたという。因みにその客、以前にも万引き行為を行ったらしくその際も誓約書の署名だけで片付けたそうだ。
この時はいくら疑わしい客の経歴に傷を付けない為かもしれないとは言え、何故そんな事をするのか疑問に思ったのだが、浜田寿美男氏曰く「取り調べをする側からすると、取り調べというのは、たんに本人に自白をさせるということだけじゃなくて、謝罪をさせる、更正の一環と位置づけている。」という事ならばそうなるのもむべなるかな、と思った。確かに誓約書一枚で万引き行為がなかった事になるのならそれでいいのだろう。しかしたまにいる再犯者の場合は果たしてそれで更正可能なのかと。再犯するにもするなりの理由がある訳で、それは取り調べで謝罪の為の自白を強いたり、誓約書の署名で済ませた所で被疑者にとっては何の救いにもならないのではないのだろうかと思ってみる。


追記:ウィキペディアの万引きの項に、被疑者に対する誓約書についての件に関する記述が。これを読む限りだと誓約書への署名行為自体、もしかしたら問題なのかもしれないという事か。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%8D
 一部の事業所では万引きを逮捕した場合、警察に通報せず、被害売価の数倍の現金を要求したり、誓約書や念書を書かせるなどを行っている。
 前述の万引きGメンにしてもそういった法令教育がなされていない[要出典]場合が多い為[4]、警備員(私人)であるにもかかわらず、取調べ類似行為や脅迫まがいの行為、荷物確認を行うような違法行為が時々テレビで放送されている。
 (中略)
 取調べないし取調べ類似行為
 被疑者に対して、住所・氏名・年齢を開示するように要求すること自体に問題はない。もっとも、大概の場合、警察官に適切な事情を説明すればある程度は被疑者の情報を教えてくれる。しかし、事業者や警備員が無理やり「教えないと大変な事になる」「教えないと帰さない」「書かないと学校に電話する」などと言って開示させるのは強要罪に当たりうる。また、「書け!!」と言いながら机を叩いたり、椅子を蹴り飛ばすなどの行為は脅迫罪に当たる可能性がある。
 また、今後店に出入しないことを誓う「誓約書」や「念書」の提出を要求してもかまわないが、上記と同様の問題があることに留意する。》