猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

『阪神間モダニズム』もまた識者の「上から目線」か

id:trivial氏、トラバ有難うございます。
手塚治虫谷川流も「阪急平野」生まれ‐一本足の蛸http://d.hatena.ne.jp/trivial/mobile?date=20090612
 そういえば、「阪神間モダニズム」という言葉もあったけれど、これと「阪急文化圏」との関係はどうなっているのだろうか? 》
うーむ……どうなんだろ?
阪神間モダニズム』=『月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識』いう所の『阪神文化』(http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200306/topics01/topic01_01.html)の意味だとすれば、『阪急文化』との違いは、
《鉄道会社(あるいはその関係や親戚筋)によって沿線都市にしかけられた文化ではないということ。阪急は古く小林一三によって、東急はそれよりは少し新しく五島慶太によって、西武は80年代以降、堤清二(これのみ鉄道・沿線とは関係が薄い)によって計画された文化だが、阪神文化は、阪神電鉄グループが意図したものではない。単に地域名によるもの。》
って事になる。
ということは、『開国』以降19世紀末〜20世紀初頭の日本にもたらされた海外(と言っても欧米列強諸国)の風潮とか流行りものとかの影響を受け、
日露戦争後の好景気で成金化した人間達が意地と見栄で作り上げたモノ(阪神電鉄主導の沿線開発はあくまでそれらの中に包括される)が『阪神間モダニズム』、
「何もない」沿線で顧客を半永久的に確保するために阪急主導で作り上げられたモノ(手塚治虫の作品はあくまでその影響下にある)が『阪急文化』、
という事になるのかな?(Wikipediaではどちらも『阪神間モダニズム』のカテゴリーで一括りにされているがw)
原武史著『「民都」大阪対「帝都」東京―思想としての関西私鉄』は私は何年か前に本屋でパラパラと立ち読みしたぐらい。その時は微妙に「関西私鉄(てか阪急というか小林一三かw)SuGeeeeeeE!!」とか思ったが、ただ昨日日記を書いた時点で「じつはこれ『東京VS大阪』の対立構造の例として第二次世界戦争前の関西私鉄のやり口を挙げただけでは?」という気がしてきて、警戒して再読する必要があるかなと思ってみたり。
因みに『阪神間モダニズム』という言葉、どうやらこれは出自がはっきりしているようで。
Wikipediaの『阪神間モダニズム』の項目によると、
《1997年の「阪神間モダニズム」展(兵庫県立近代美術館・西宮市大谷記念美術館・芦屋市立美術博物館・芦屋市谷崎潤一郎記念館の同時開催)を機に使われるようになった地域文化史の概念である。》
とある。
何だ! 『阪神間モダニズム』も『阪急文化圏』同様に(?)識者によって呈示された言葉かよ……。
そういう事もあってか、個人的には識者が広めたというより不動産屋の売り文句に使われた事で(関西圏の)一般社会に広まったのではという印象がある。
案の定阪急阪神も『悪乗り』してマンションの売り文句に使ってやがるしw→http://www.dandy-geo.com/modernism/index.html