猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

ハム平のペンネームの意味って……www

産経関西の小林ハム平訃報関連記事に、こういうのが。
《【小林公平氏死去 評伝】人生の半分は宝塚と共に:産経関西産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)http://www.sankei-kansai.com/2010/05/02/20100502-023457.php(MSN産経版http://sankei.jp.msn.com/obituary/100501/obt1005012321003-n1.htm
 文化人としての公平さんは、文筆や絵画などに優れ、「公文健」というペンネームで多くの作詞も手がけている。あるときその意味を聞くと、「公平の文才よ、健やかに、ですよ」とうれしそうに答えた。
 宝塚歌劇の機関誌『歌劇』には「花の道より」という随想を、昭和47年から毎月掲載し、通算450回分は計4冊の本にまとめた。執筆は病床にあっても休むことなく、最新の『歌劇』5月号で453回目。その中に自叙伝『公亭自伝』(非売品)のことが書いてある。
 昨年5月に最初の入院をした機会に思い立ったそうで、「つくづく感じたことは、私と“宝塚”とのかかわり合いの大きさ。(中略)…非常勤理事として1966年に就任してから現在まで…私の人生の半分以上は“宝塚”と共にあったということになる。まことに幸せな人生を送ってきた…」とつづられている。6月に完成予定だと聞いた。見事な遺言のような気がする。(平松澄子)》
「公文健」ってペンネーム、そういう意味だったのか……どんだけ自意識過剰www
絶筆になった自叙伝はどうなるんだろうな。てか書き始めたきっかけが昨年の一回目の入院時か。結局公文健という「恵まれた立場にいた」物書きは、その立場故に自分の身の衰えを露骨に自覚しなければそういう物を執筆する気になれなかった人だったという事ですな。
追記:ま、彼が昨年秋に池田文庫理事長辞めたのも今年3月になって宝塚音楽学校校長・理事長辞めたのも病気療養が理由だったからなあ。引き際を知らんかったとも言える。それはそうと、ハム平が公文健名義で作詞した曲で一番知られているのは、やはり阪急三番街で1時間起きに流されている島田歌穂が歌った『川の流れる街で』だろうな。タカラヅカの曲じゃなくてw三番街に行った人なら一度は耳にしたことのある、「ハ-バ-ナ-イスデ-ィ、ハバナィ-スディ-♪」という、時代に取り残された感じのするあの曲。(『川の流れる三番街と球児』(酒歌つれづれよしな記‐俳句淀風庵http://www.h6.dion.ne.jp/%7Ejofuan/myhaiku_175.htm)に一節が載っている。)
追記2(5/7記):『歌劇』最新号立ち読みしてきた。ネタとして買うかどうか迷ったけどwハム平自叙伝、絶筆ではなく完成しているとのこと。