猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

麻生太郎の民主党への『祝福』と、西川恭爾の阪急・阪神への『願い』

先日のid:finalvent氏のココログ極東ブログ』の麻生太郎会見についての考察エントリを見て思った事を書く。
麻生は育ちが良すぎるガチの保守故か、貧乏人や非差別部落民を馬鹿にした発言を何も考えずに口にするような奴だからなw(彼からしてみればジャップとか珍ヲタとかいう言葉を平気で使う私にそんな事を言われたくはないであろうがw)それでも麻生はすぐれた政治家かという問いは保留するとしても、首相の器ではなかったかもしれないのは確かだろう。ま、言葉を選んでモノをいう事の出来ない奴に組織を統治する事はかなり難しいと思うのだがw
でもまあそんな奴にも『信心』ってものはあるのだろう。まあその事が発言に影響を及ぼす(ように受け止められる)事もあるという事で。
《God Bless You, Mr. Aso, or Father in secret‐極東ブログ http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/416/657/59666534
 表向きの敗北宣言は現在、NHKのユーチューブチャネル「動画 衆院選・みるきく選挙 自民・麻生総裁の会見」(参照)に掲載されているが、これ続いてNHKの質疑応答があった。その部分は、まったく報道されないわけではないのだが、オリジナルと違うので、私が感銘を受けた部分を書き起こしてみた。
NHK 麻生総理、民主党を中心とする新政権にはどのようなことを望みますか。
麻生 マニフェストにいろいろ謳われておられますんで、そのマニフェストを実現して行かれるということだと存じますが、いずれにしても国際金融を含めてきびしいものがいくつも我々を取り巻いております。そういったものに関して、きっちり対応していただける民主党の勝利というものを祝福と申し上げると同時に期待も申し上げております。
 (中略)
 もう一つ、はっとしたのは、「祝福」という言葉だった。「敗者が勝者を祝福する」という表現はそれほど現代日本語として違和感のあるものではないが、麻生さんの「祝福」は、少しぎこちなく「祝福と申し上げる」という文脈で、「祝福」に実体的な重さを感じた。あまりこじつけた発想もなんだが、私としては麻生さんのカトリック教徒(キリスト教徒)としての、自然な生き方を感じた。祝福というものの、最終的な起源を普通に神に感じるような生き方がある。
 民主党勝利への祝福発言はこう続いた。
NHK 麻生総理、民主党を中心とする政権には協力をしていくというようなことでよろしんでしょうか。
麻生 我々は常に、お国のためになる、国家・国民の利益になるというように判断すれば当然のこととして賛成をするということは存じますが。
 私の思い込みにすぎないのかもしれないが、ここにもキリスト教徒の心情を感じた。普通に日本語で考えるなら、「お国のためになる」という表現は、戦時下の国家主義を連想して自然だろう。しかし、キリスト教徒は、お国というとき、それが神の国の秩序のこの世の延長のように感じている。いや、すべてのキリスト教徒がそうだというのではない。しかし、ロマ書13章の次の言葉は、西欧型のキリスト教徒にはごく自然な感性になっているものだ。
すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背く者である。背く者は、自分の身に裁きを招く者である。いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れない事を願うのか。それでは善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。
 この言葉は、しばしばキリスト教徒が国家主義になる理由として批判される。悪しき国家に従うことを宗教が覆い隠しているといった類の宗教批判だ。たしかにそういう面もあるが、批判者たちは「彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである」という言葉の意味合いが感受できていない。眼前の王も、皇帝も、キリスト者には、神の奴隷として普通に見える感性というものがある。》
うーむ。finalvent氏、麻生太郎キリスト教信者故に「祝福」とか「お国のためになる」という言葉を無意識に使った、と。そう解釈されましたか。何だかなあ……。自分が属する家族の内部における宗教的行為を単なる「家の慣習」としか捉えていない人はわざわざそこまで深読みしないしなあwまたfinalvent氏が深読みした通りに麻生の発言がキリスト教的なモノの見方の影響を受けたものだとすれば、それもそれで宗教を意識していない人にとっては「なにそれキモい」でしかないだろうし。
finalvent氏が先日の麻生会見に上記のような考察をする事が出来るのであるならば、それは2006年5月29日に行われた阪急による阪神TOB開始の会見の席で、阪神電鉄前社長の西川恭爾が記者との質疑応答の時に言った以下の言葉にも似たような考察をする事が出来るだろう。勿論これは私の思い込みとこじつけだがw
《阪急、阪神の社長が共同会見 「見切り発車」の勝算は(朝日新聞)‐悪のネットニュース http://www6.big.or.jp/%7Ebeyond/akutoku/news/2006/0529-64.html
 ――西川社長の辞任は引責という意味があるのか。
 西川 「人心一新を図り、経営統合がうまくいくようにという願いだ」》
これはメディアによって要約された発言とは言え、西川がこういう物言いをした事を最近になって知った時、私は何となく「微妙にキモいな。」と思った。同時に不意に彼は日頃から日本における仏教的なモノの見方に少なからず影響を受けていた面があったのではとも思ったからだ。とすればメディアによって「人心一新を図り、経営統合がうまくいくようにという願い」(何その帝釈天の化身の前で「私には捧げる物が何もないですぅ〇| ̄|_」と言って自らを供物とすべく焼身自殺した兎のような言い方は……。)と要約されるような物言いをしたのも何ら不思議じゃないだろうと勘繰ってしまったからだ。
というのも西川、阪神グループ誌に掲載された2004年の電鉄社長就任時のインタビューで、聞き手に座右の銘はと何かと聞かれて、
《「自らの足もとをよく見つめなさい。という意味の「脚下照顧」。これは私の父がよく言っていた言葉で、禅寺に行くと、「照顧脚下」とも書いてありました。自己反省の言葉と思っています。
 (阪神グループ誌『GROUP HANSHIN』No,6(2004年8月発行)『道標』インタビュー企画「阪神電気鉄道 新社長に聞く」より抜粋)》
と言っていたからだ。親父さんの影響もあるのだろうが、「禅寺へ行くと……」ときた。まあこの人ひこにゃんと出身地同じらしいので何らかの形で禅宗の影響受けた可能性はあるかもしれない。彦根藩を治めていた井伊家の菩提寺は禅寺だし。これはあくまで個人的な憶測に過ぎぬが、もしかしたら西川の実家あるいは本人が禅宗寺院の檀信徒なのかもしれない。それはさておき近くの図書館で「照顧脚下」の意味について調べてみた。
『仏教がわかる四字熟語事典』(森章司・小森英明編 東京堂出版)によると、
《1.足元を省察し顧慮せよの意。外に向かって悟りを求めず、自己を徹見して悟りを得よということを表す。
 2.「照顧」は注意する、用心する、といった意味。日本では、履物をきちんと揃えるという意として用いられる事が多い。禅院の玄関にこの句を記した張り紙がしてあるのは、この両様の意味を含ませたものであろう。脚下照顧ともいい、回光返照も同意。》
とある。また『仏教四文字熟語事典(上)』(須藤隆山著 新人物往来社刊)によると、
禅宗でいう語。禅寺へ行くと「照顧脚下」と書いた木札が玄関に掲げられている。「脚下を照顧せよ」ということで、よく足もとを見よ、というのだ。ただ見るだけではなく、照顧には″反省し考察する″という意味がある。狭義では履物をきちんとそろえよということでもある。(『大川和尚語録』他)》
とあった。「自己反省のことばと思って」いたのであれば後者のノリか。……やはり微妙にキモい(宗教的な意味で)wま、そのキモさは稲盛和夫には遥か遠く及ぶまい(経営者としての能力も)と言うのは余りにも両者に失礼かw
因みに実は私はこの会見の様子を撮った映像媒体をリアルタイムで見ていない。というより敢えて「見なかった」といったほうが正しい。どーせ西川言い訳しか言わないだろうよとしか思っていなかったし、これは今でもだが「阪神ザマァw」程度にしか思っていなかったからだ。今考えたら惜しい事をしたかなorzという気がしなくもない。まあ上記リンク先にある当時の朝日記事の全文から察するに西川恭爾ってこの人阪神グループ代表の器としても小物だったんじゃね?wという気しかしないのは私だけか? ま、当時の彼を取り巻いていた奴らのせいも十分あるかもしれないが、麻生太郎程ではないが組織の統治者としての評価はまあ「おまえなんかその程度だっただろうよw」としたい人物だった事に変わりはない。だいたい村上ファンド側がよこした人事案を廻る当時の専務縄田和良の発言の件でメインバンク側の社外取締役だった玉井英二を激怒させているとかどう見ても「ダメだこりゃw」だろ(いくら玉井のジイサンがアレな人かもしれなかったとは言え)w……何というか、この人国鉄出て行かずにそのままJRに留まって、そこで技術職として役目終えていたほうが良かったんでないのという気がしなくもない。