猫轍守衛の偽業務日報

訳あって暇人やってる、その昔似非鉄道趣味者だったクズの毒吐きブログ。虎もライオンもデカい猫だけど、文句ある?

今年の半珍がダメポで珍ヲタ曰く「暗黒時代再来orz」なのは、1985年以降の阪神電鉄の経緯をざっと見ても当然の帰結なんだよなw

《日本人は日本の「物語媒体」の衰弱にもっと本質的危機感を持たなければ・・・。 - HALTANの日記 http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/mobile?date=20090802§ion=p1
 ・・・いつも書いてますけど、以上のような状況を「客(視聴者)がアホやから」程度にしか捉えない思考停止(→仮にお客さんがアホなら「なぜそうなってしまうのか?」もっと突き詰めないと駄目)、あるいはTV局出資映画と一握りの単館系が当たっているだけの現状を「邦高洋低」「日本映画も面白くなってきた」と持ち上げる映画ジャーナリズム・(何故か現代日本映画に好意的な)映画ファンの善意こそが、ますます地獄への道を開くのではないだろうか?》
《日本人は日本の「物語媒体」の衰弱にもっと本質的危機感を持たなければ・・・(補)‐HALTANの日記 http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/mobile?date=20090803§ion=p1
 ・・・1970年代以降の巨大な「自主映画」界の中で、プロデューサーたちは観客不在のまま内々の資金繰りに追われ、多くの監督たちは自身が映画を撮れればそれでいいとしか考えず、周囲の評論家・記者・研究者たちも自身の処世にのみ必死。
 そして、観客も作り手も未熟。》
その状況、個人的には思いっ切り阪神タイガース阪神電鉄の現状に至る顛末と被るよなwと思ってしまったのは私だけですかねぇw
そもそも半珍球団親の阪神電鉄なんてのは創業後かなり早い時期に後発の阪急にシェア争いで敗れて当時の経済誌から「老大国」呼ばわり(*1)、戦後はというと、
関西学院大学経営戦略研究科|[現代企業家の戦略的役割]企業家紹介(西川恭爾の項)http://www.kwansei.ac.jp/iba/entre/library/vol3.html
 第二次大戦後は沿線市場の成熟、国鉄(JR)・阪急との激しい競争などにより、成長が鈍化、堅実、保守が同社の経営政策の特質となった。1980年代になると、関西経済の低迷に加えて、国鉄民営化が日程に上り、阪神電鉄の鉄道営業基盤のさらなる脆弱化が確実となった。》
という有様で、本来なら1980年以降の阪神は南海やかつての阪急同様に球団経営放棄という選択肢があってもよかった筈だ。むしろその方が阪神電鉄グループにとってはよかったんじゃないの?wという感じは私が阪神子会社にいた時から持っていたし、今でもそう思う。しかし阪神はついに自らの手で球団経営を放棄せず、むしろ球団経営があだとなって自らの首を絞めたと言っていいんじゃなかろうか。買収問題の「オチ」を考えたら。
そうなってしまったのはなぜか? それは外ならぬ『半珍よりのメディア』『珍ヲタな識者』がデカイ声で「今年の阪神はサッパリあきませんな。」という言葉と同時に「阪神優勝で関西復活!」というフレーズを繰り返してきたからに過ぎない。当然その行為は阪神タイガースそして阪神電鉄にとっては「タダ同然の宣伝」になるからわざわざ阪神側からツッコミを入れる必要性がない(球団の「御家騒動」を嗅ぎ付けてまわるメディアには睨みを利かせても、だ)。結局それは半珍の太鼓持ちのメディア・識者による「『阪神』像」、つまり「阪神」=「タイガース」「タテジマ」「六甲颪」という、あまりにも偏りすぎなイメージを阪神電鉄グループの内外に植え付ける結果となった。しかもそれらは恐ろしい程に野球そのものに対する議論が欠落した状況で語られる。いや、欠落どころか元から存在していない。そして選手はイタズラに持ち上げられ、潰れる。言わば橋下知事誕生以前から大阪に、いや関西圏に存在したポピュリズム。そういや横山ノックが知事に選ばれたのもこういう思考体系が存在した故かもw
かたや阪神電鉄はというと他の大手私鉄同様「鉄道だけじゃ食えないっス。でも本業でももっと稼ぎたいっス!」だった訳で、
《(以下上記http://www.kwansei.ac.jp/iba/entre/library/vol3.htmlより)このなかで、1980年代初めに同社は業容拡大戦略に大きく方向転換し、兼業部門の拡大を図る西梅田開発と、鉄道事業の強化を図る西大阪線の延伸という2大プロジェクトによって、この実現を図った。
 (中略)
 1980年代から21世紀初頭においては、阪神大震災による損失があったものの、阪神電鉄グループの経営パフォーマンスは、大手私鉄のなかでも安定的に推移し、2003年度においては売上高、利益のいずれにおいても過去最高を記録した。また戦略転換が功を奏して、保有資産の含み益も増大していた。》
という経緯を辿る。その後どうなったかはあまりにも知られた話なので割愛。結局阪神もまた自分の所が限られ縮小しつつあるシェアの中でいかに売上を落とさずにいられる(あわよくば伸ばす)事で頭がいっぱいな組織だった訳だ。ブルーノートに手を出しそれが頭打ちになったからビルボードへなんてのがその象徴的な話だ。その事は阪急阪神となった今でも変わらない。なにせその事に関しては阪急は阪神の一つ二つ上を行っていたわけだしw(それでも頭打ちの状況が続いているどころか関テレ『あるある大事典』の件や彩都の開発失敗、宝塚ファミリーランド跡地再開発停滞などで底が割れている訳だが。)
そんな企業の副業でしかない球団に「関西復権」の夢を託してきた珍ヲタってどれだけ「あたまわるい」んだよな話でしかない。いくらネタであっても。いやネタがベタになってどれだけの時間が過ぎたか。その事が阪神プロ野球から撤退出来なくさせてしまったのではないのか?
半珍がリーグ優勝した所で球団の取り巻きが儲かった所でそれらは所詮「おこぼれ」であって結局は阪神電鉄グループの儲けに収斂されていくだけだし、実際そうだったのによw上記文章の「2003年度においては売上高、利益のいずれにおいても過去最高を記録した。」という一節は、『星野フィーバー』が結局何であったかを露骨に示している。(*2)
 おそらくそれは、1985年の半珍の日本シリーズ優勝時も同じだったと思う。まあ結局は1986年以降の状況、所謂『暗黒時代』というのが半珍の選手・監督・コーチ・球団フロント・その他球団関係者の「実力」だった訳だが……。その事態に対して阪神が取った策は、「日はまた昇る――『1985』はいつかきっと再来する」事を演出し続ける事だった。その時点で阪神タイガースは「野球チーム」である事を放棄し「コンテンツ業者」となったと言えるかもしれない。事実、この後バブル景気の影響もあってか関西圏にはタイガースグッズが溢れかえる事になるのだから。その状況は2003年のリーグ優勝まで続いた。映画『ミスター・ルーキー』はそんな状況下で制作された、HALTAN氏の言葉を借りるなら『自主映画』の典型だ。
そして2003年のリーグ優勝以降は、半珍球団も阪神電鉄も『半珍よりのメディア』『珍ヲタな識者』も『一般人の珍ヲタ』も、『猛虎復活』『常勝球団』という言葉に踊る事になり、星野仙一を英雄として祭り上げる事になる。なぜか元国鉄職員から電鉄社長にまで昇り詰めた西川恭爾の次のような「心配」をよそに。
《よく当社は、関西5私鉄の中で最も財務状況がよいということを言われます。特に昨年度は、阪神タイガースがリーグ優勝し、その効果から連結決算で過去最高の業績を収めることができました。しかし、これはあくまでも関西の私鉄の中での比較であって、同業の中にも関東には大変業績のよい会社がいくつもあります。当社が昨年、このように好成績を収められたのはタイガースの優勝があってのことで、別に会社の経営体質が盤石になった訳ではありません。(中略)あまり昨年の経営成績だけを見て舞い上がることのないように、グループの皆さんを含め肝に銘じていただきたいと思います。
 (中略)
 というのも、阪神グループは、タイガースに頼りすぎると、それが弱点になるのではないかと、私は少し心配しています。これまで私たちの努力なしにたくさんのお客様に球場に来ていただいていましたから、私たちには人を集めるノウハウが十分にはないように思います。
 これは鉄道についてもいえることで、当社は、発足当初から人の多い都市間に路線をもっていましたので、営業努力があまりないままでも、お客様にご利用頂くことが出来たという面があります。恵まれた条件の下でここまで来た事が、逆境に陥った時には弱点になるのではないでしようか。
 (阪神グループ誌『GROUP HANSHIN』No,6(2004年8月発行)『道標』インタビュー企画「阪神電気鉄道 新社長に聞く」より抜粋)》
とはいえ阪神電鉄も所詮は自分の所の儲けしか頭にないものだから(当たり前の話でしかないんだけど)『星野フィーバー』で得たカネをいかに自社グループの儲けに繋げるかという事に躍起になってた訳で、その為ならネタがベタになった上で「実はそればかりじゃないんですけどw」な企業イメージを顧客に示せたら万々歳程度にしか思ってなかったのかもしれない。電鉄社長時代の手塚昌利をして、
「タイガースブランドの価値向上が、グループの活性化、すなわち収益増大に大きな効果をもたらし、ひいては『阪神グループ』という企業集団の価値向上に寄与するよう努めなければなりません。」
とか言ってた始末(*3)だもんなwまあその目論みは村上ファンド読売ジャイアンツによって粉砕されたがw口では「阪神の為に」と言いつつ実際には自分の儲けしか頭に無かった星野仙一の作られた英雄像は北京五輪において韓国代表が見事なまでに粉砕した。そういや旧阪神百貨店がウリにしていた『食の阪神』も、食品偽装問題の影響の煽りを喰らって無意味になった上に昨今の恐慌で売上落ちてついに終了の様子w
神戸新聞|経済|阪神百貨店阪急オアシス 初の店舗連携 http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0002186330.shtml
 神戸市東灘区の阪神百貨店阪神・御影」の食料品売り場に8月5日、阪急百貨店系のスーパー、阪急オアシスの新業態店が開業する。2007年の経営統合エイチ・ツー・オーリテイリンググループ傘下となった両百貨店が、店舗運営で連携するのは初めて。
 御影店は商業施設「御影クラッセ」(神戸市東灘区)内にあり、食品売り場の売り上げがふるわなかったためエイチ・ツー・オー社がてこ入れを決めた。売り場面積の75%にあたる2080平方メートルがオアシスになる。
 (中略)
 改装後の食品売り場全体の売り上げ目標は初年度30億円で従来の6億円増。これまで梅田の本店と同じデパ地下スタイルだったが、「郊外店で顧客のニーズと合わなかった。改装では日常の買い物を強く意識した」(エイチ・ツー・オー社の高地賢常務執行役員)。
 阪神百貨店は西宮や三宮にも食品売り場を構えており、今後、御影同様に「てこ入れを検討する」(同執行役員)方針。》
そういえば阪神百貨店は球団版権絡みで下請けのグッズ製作会社への代金不当ダンビングというふざけたマネをしていた。その件は昨年公取委が鉄槌を下しているが、果たして旧阪神電鉄グループの手塚・西川体制が続いていたら、その辺はもっと早く改善されていたかというとまあまず有り得なかっただろう。株式買収問題とそれの帰結である阪急阪神発足がなければ、あの件で本当に公取委の鉄槌が下されるべきだった阪神子会社の社長は未だに「『猛虎復活』『常勝球団』という言葉に踊」り、「星野仙一を英雄として祭り上げ」る状況を作りだした主要人物の一人珍ヲタ宮崎恒彰だったかもしれない事を考えたらな……。
結局、業種を問わずあくどい儲けで得たブランドイメージに踊ったところでそれらは破綻する運命にある。それだけの話かもしれない。
(*1)この話は買収問題の真っ最中に出された(出す羽目になった)『阪神電気鉄道百年史』に記載されている。てかこの話、私はその本で初めて知ったw因みにこの本、広辞苑並に分厚いわりに記述内容の約半分は阪神電鉄を取り巻く社会情勢に記述が割かれていて鉄ヲタでない人には「物足りないようでお腹いっぱい」になる代物だったりする。しかもこれの編纂プロジェクトの担当責任者がよりによって珍ヲタ宮崎w一番最後のページに奴によるあとがきが記載されている。
(*2)因みに2003年度の売上が過去最高益であり、それが2003年の球団リーグ優勝によるものであるという事も『阪神電気鉄道百年史』にも記載されている。
(*3)阪神グループ誌『GROUP HANSHIN』No,3(2002年3月発行)『道標』より抜粋。因みにこの『道標』というコーナーは所謂「トップメッセージ」であり、その内容は懇親会とか年賀会での長ったらしい社長スピーチの要約。なおこの号に記載されていた手塚の発言は2002年1月の阪神電鉄本社で行われた年賀会の時のもの(らしい)。